ページ

2010年11月1日月曜日

ディディエ・オリオールのプライベートミュージアム

2000年の夏に南フランス某所にあるディディエ・オリオールの自宅を取材した際の貴重な映像である。

デイディエ・オリオールは1994年にフランス人初のWRCドライバーズチャンピオンの座に輝いた(ちなみに頭も輝いている)名ラリードライバーにして国民的英雄で、フランスでは小学生でも彼の名前を知っている。

彼の自宅のガレージ(といっってもかなり広い!)には、プライベート時代からワークスドライバー時代に乗ってきた名車達(フォード・シェラRS 4X4、フォード・シェラ・RS・コスワース、ランチャ・デルタ・インテグラーレ、ルノー5マキシ、MGメトロ6R4、トヨタ・セリカGT FOUR)がチャンピオントロフィーやレーシングスーツなど様々な思い出の品とともに動体保存されている。

ユーモア溢れる明るい性格で、現役を引退した現在でも世界各国に根強いファンを持つディディエ・オリオールは、故オベ・アンダーソンも絶賛した卓越した開発能力を活かし、現在でも新型ラリーマシンの開発を手掛けている。











看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

2010年10月31日日曜日

小林香織 ' THE THEME OF WINNER '

ご存じ ' CAR GRAPHIC TV ' の初代オープニングテーマ曲である。

気鋭の女性アルトサックス奏者・小林香織のキレのよい演奏が冴える。

この曲を聴くと谷田部の高速バンクを思い出す。

スタートしてから止まるまで一度もブレーキを踏まない超高速周回路。

表ストレートからバンクへ、バンクを出て裏ストレートで最高速計測そして再びバンクへ。

ノーブレーキでバンクに飛び込む時の緊張感。

右手に迫るガードレールが一本の白い直線となって流れ去る。

あ~我が青春の谷田部。

その谷田部も今はもうない。











看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

ランディ・クロフォード with クルセイダーズ ' Street Life '


アトランタ市街中心部高層ビル群からの俯瞰撮影で映画はスタートする。

冬の早朝、カメラはパンしながら町外れの貨物線の操車場とおぼしき場所を白い息を吐きながら歩くやや猫背気味の男・シャーキー刑事(バート・レイノルズ)にズームインする。

1981年に製作されたバート・レイノルズ主演の映画「シャーキーズ・マシーン」のオープニングシーンである。

このオープニングシーンのバックに流れるのがランディ・クロフォード&クルセイダーズの「ストリート・ライフ」である。

1997年製作のクエンティン・タランティーノ監督作品「ジャッキー・ブラウン(パム・グリア最高!!)」のオープニングでも使われている。

「ストリート・ライフ」は黒人ジャズ・シンガーとして有名なランディ・クロフォードとクルセイダーズとのコラボレーションにより生まれた名曲である。

クルセーダーズは、元々はジャズ・クルセイダーズというジャズ・バンドだったが、1971年からクルセイダーズと名乗りファンキーなフュージョン・バンドに変身した。

当時はラリー・カールトンやデヴィッド・T・ウォーカーらがゲストで参加していた。

1979年、それまでインストゥルメンタル一本槍だったクルセイダーズは初めてヴォーカルを加えたアルバム「ストリート・ライフ」をリリース。ランディ・クロフォードの歌をフィーチャーしたタイトル曲「ストリート・ライフ」がシングルカットされ、アルバムと共に大ヒットとなった。


















看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

凄強オヤジ  ' スティーブン・セガール '

スティーブン・セガールはオヤジの星である。

その強さ、その気迫、その面構え、セガールこそ誠の武士である。

全身に漲る ' 俺は強いぞオーラ ' (爆)

それを浴びた瞬間、男は怯み女はときめく。

新橋・神田で飲んでるオヤジ達よ! スティーブン・セガールを見習い加齢臭を気迫のオーラに変えようではないか!!










看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

2010年10月30日土曜日

T-Square   ' Truth '

フジテレビのF1中継初代テーマ曲として余りにも有名なT-Squareの ' Truth '。

この曲を聴くとモータースポーツ専門誌の副編集長だった時代を思い出す。

鈴鹿のF1開催は1987年、時を同じくて参加型モータスポーツ専門誌 ' Speed Mind ' は創刊された。

世はまさにバブル景気真っ只中! 10年ぶりのF1グランプリ開催に日本中が熱狂した。

日本の自動車メーカーは活気づき、様々なバリエーションのスポーツモデルが続々と発売された。

80年代中盤から90年代初頭、それは日本の自動車史上最高の時代であった。









桜井幸彦伝説

その衝撃的な走りを初めて目撃したのは1985年全日本ラリー選手権第10戦モントレー'85だった。

この年のモントレーは群馬県の草津温泉がスタート&ゴールだった。

ギャラリーステージはスタート地点からほど近い草木ダム付近の林道に設定されたSS1とその逆走となるSS2の2本。

当時は今では考えられないほど全日本選手権国内ラリーの人気は高く、憧れのトップドライバーの走りを一目見んと、全国から大勢のギャラリーがつめかけた。

ラリー当日の天候は曇り。しかし、午後になりSS1がスタートする頃には重く垂れこめた雲間からポツリまたポツリと雨滴が落ち始めた。

コースクリアの先行車が通過してほどなくSS1がスタートした。

当時、最高位であるCクラスの主力車種はAE86であったが、空冷インタークーラーの装着によりグロス160PSまでパワーアップされたG62B型エンジンを搭載するA175A型ランサーターボにその地位を脅かされつつあった。

草木ダムのSS1、2は、長い上り(下り)の直線と連続した複合コーナーとが組み合わさった豪快且つテクニカルなコース。

パワーに勝るランサーターボ勢は直線に勝負をかけ、パワーと排気量で劣るAE86勢は完熟の域に達したサスペンションセッティングを活かしたコーナーに勝負をかけていた。

ランサーターボ勢が抜群の直線加速を見せれば、AE86勢は変幻自在のコーナリングテクニックで複合コーナーでその差をつめる。まさに一進一退の攻防戦となった。

SS2がスタートして10台目くらいだっただろうか。吹け上がった4AGサウンドを響かせ、一台のAE86が長い直線にその姿を現した。

速い! 直線スピードはパワーに勝るランサーターボをも凌ぐほど速いではないか!

クルマが近付くにつれ、4AGサウンドは咆哮へ、そして悲鳴へと変わった。

フル・スロットルなどという生易しいものではない。恐らくドライバーは床を踏み抜くほどスロットルペダルを踏んでいるに違いない。

もっとパワーを! もっとスピードを! ドライバーが奥歯をギリギリと噛みしめ、そう心の奥で絶叫している。そんな鬼気迫る走りだ。

エンジンの悲鳴とギシギシというボディの軋む音、それにタイヤが激しく小石を蹴散らすバラバラという音とともに眼前をAE86が通過した瞬間、泥にと土にまみれたボディのカラーリングが群馬の名門ラリーチューナー「キャロッセ」のものである事に気づいた。

緩い下りの直線の終わりは左複合コーナー。巻き込みながら道の勾配もきつくなる。

鬼のようなスピードで直線区間を駆け抜けたAE86は、複合コーナーの遥か手前、まだ直線区間を50メートルほど残したところで一瞬コーナーの反対方向である右にノーズを向けた。そしてその次の瞬間、一気に左へステアリングを切り込みんだ。イニシャルD的に言えば「なに?!フェイントモーション!」。

フェイントモーションとは、旋回の直前に一度車体を旋回方向とは逆方向に振ってからに旋回に入る操作で、一度アウト側に車体を振ることにより発生したヨー(慣性)を強制的にイン側に移すコーナリングテクニックである。

フェイントモーションは、通常コーナーが中途半端な曲率の時や、コーナーの深度が読み切れないブラインドコーナーなどには使われるが、高速からの進入では余り使われない。荷重移動のタイミングを誤ればコースアウトかスピンのリスクが高いからだ。

しかし、そのAE86のドライバーは高速域からのフェイントモーションを神業的なタイミングできめた。

フェイントモーションにより、直進状態から一気にリヤを滑り出しドリフト状態に入ったAE86は、信じられないスピードで左複合コーナーへ進入。そのままノーズでイン側の崖を削るよな深いドリフトアングルを保ち、矢のようなスピードで連続する複合コーナーを駆け下って行った。

全身に鳥肌が立っていた。

このAE86のドライバーこそ、若き日の桜井幸彦その人である。









看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ