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2010年11月5日金曜日

町田義人  ' 戦士の休息 '

町田義人は超弩級の歌唱力を持った稀有な歌い手である。

その声帯から発せられる声はまさに言霊である。

代表作「戦士の休息」は高倉健主演の角川映画「野生の証明」の主題歌として有名だ。

薬師丸ひろ子のデビュー作となったこの作品により、角川映画のブランディングは確立した。

昭和の蔦谷十三郎・角川春樹の才覚と、文化に対する多大なる投資は、今改めて評価されるべきなのではなかろうか?!









2010年11月4日木曜日

天知茂 「非常のライセンス」

1973年、当時のNET(後のテレビ朝日)で毎週木曜の22時から放送されていた「非情のライセンス」こそハードボイルド刑事ドラマの金字塔である。

主人公である会田刑事は、被爆者という理不尽且つ重い十字架を背負いながらも自らの人生を呪うことなく、世の正義を貫ぬくため捜査に執念を燃やす反骨の鬼刑事である。

その会田刑事を、天知茂がダンディ且つニヒルに演じている。

余談だが、タバコを吸うようになって初めて吸ったタバコが洋モクの「ラーク」。

なぜなら、ラークは劇中で会田刑事が好んで吸っていた銘柄だったからである(笑)。














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E30型BMW M3 On Borad in Tour de Corse '92

地中海に浮かぶ風光明媚な島。フランス領コルシカ島。

ナポレオンの生誕地として余りにも有名なこの島の静寂は、年に一度ラリーカーのエグゾーストノートにより破られる。

荒れて波打つサーフェイス、狭くツウィスティなコースが特徴的なツール・ド・コルスは、1956年から開催されてきた歴史と伝統のイベントである。

「一万のコーナーを持つ」とも言われるほどの難コースは、まさに ' ターマック・インフェルノ ' !

一瞬の判断ミス、マシントラブルが重大事故につながる危険なラリーである。

事実、Gr.Bラリーカーのパワー戦争が頂点に達した1985年、ランチャ037を駆るイタリア・ランチャチームのエースドライバー、アッティリオ・ベッテガが立木に衝突して死亡、その翌年の1986年には同じくランチャチームの若きエース、ヘンリ・トイボネンがレグ2のSS18での全開アタック中にコースオフして崖下に転落、デルタS4は転落途中に爆発炎上し、ドライバー、ナビゲーターの両名が死亡するという重大事故が相次いで発生した。

事態を重く見たFIAは緊急会議を開き、1986年をもってGr.B規定を廃止することを決議。「公道を走るF1マシン」と呼ばれたモンスターマシンの時代はその終焉を迎えた。

さて、これまで幾多の悲劇と数々のドラマを生み出してきたコルシカのSSを、E30型BMW M3 Gr.Aで駆け抜けて行くのはフランスのトップドライバー、パトリック・ベルナルディーニ。

英国のプロドライブが手掛けたロスマンズカラーのE30型BMW M3 Gr.Aは、1987年のツール・ド・コルスを制したフランス人ドライバー、ベルナール・ベガンと同一スペックのマシンである。

パドルシフトを見慣れた現在では、オーソドックスなH型パタンのシフトレバーが逆に新鮮だ(笑)。

SSの後半、遅い前走車(ルノー5)に追いついてしまったベルナルディーニが狭い幅員のコース上で見せる神業的追い越しに要注目!

コルスの醍醐味が凝縮したオンボード映像である。











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KPGC10型スカイラインGT-R in 富士スピードウェイ・オールドコース

KPGC10型スカイラインGT-Rと稀代のGT-R使い・黒澤元治。

名機S20型エンジンが奏でる歓喜のシンフォニーとともに、富士スピードウェイ・オールドコース(全長約6km)を鋼鉄の汗馬が駆け抜ける。

この貴重なオンボード映像は、幾多のドラマを生んだ難所「須走バンク(通称・須走落し)」の姿を鮮明に映し出す。

ドライバーに眼前に立ちはだかる30°バンクは、トヨタ、日産、マツダの国産ワークス勢が自社のプライドと威信を賭けて死闘を繰り広げた「リング」である。

焼けた植物油の臭いとダンロップのレーシングタイヤG5のパターンノイズ。それは日本のモータースポーツが最も熱くギラギラしていた70時代のメモワール。











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2010年11月3日水曜日

大江戸捜査網

隠密同心心得乃条

我が命、我がもの思わず

武門の儀、あくまで陰にて

己の器量伏し

御下命、如何にても果たすべし

尚、死して屍ひろう者なし

死して屍ひろう者なし



凄まじいまでのプロフェッショナリズムである。

かつて日本人は凛々しく誇り高い民族であった。

恥を最も嫌い、信義を尊ぶ民族であった。

ところが今の日本はどうだ?! 破廉恥な輩が大手を振るい、あさましき金の亡者が跋扈する亡国と成り果てた。

大義を貫く真の武士がいないのか!

蘇えれ! サムライ魂!!








' MODAC 東京シティジムカーナ ' の思い出

1980年代、東京品川区勝島にある東京競馬場(現在のTCK)の大駐車場でジムカーナのシリーズ戦が開催されていた。その名も「MODAC(モダック)東京シティジムカーナシリーズ」。

ISCCやALC、NSCC、DCCSといった老舗のJAF公認クラブが持ち回りでオーガナイザーを務めていたこのジムカーナシリーズは、都心で開催される本格的なモータースポーツイベントとしてベテランから初心者まで幅広いレベルのエントラントから人気を博していた。

後のジムカーナ界で「名人」と呼ばれる森田勝也選手、理論派テクニシャン高橋宏尚選手なども参戦、その異次元の走りを披露していた。

かくゆう自分もPF60型ジェミニZZ RとA175Aランサーターボで3回ほどエントリーした事がある。その結果については語るまい(笑)。

当時はまだジムカーナを専門にするドライバーの数は少なく、ベテラン勢はラリー屋かレース屋との二足の草鞋派が大多数だった。

ブロックタイヤを履いて垂れゴム(マッドフラップ)を装着したTE27、7E47、TE71、AE86といった歴代レビン・トレノ、710型バオイレットや510型ブルーバードSSS、そしてA175AランサーターボやPF60型ジェミニZZ R、さらには当時筑波サーキットで開催されていたKP61型スターレットによるワンメークレース・SNC(スターレット・ノーマル・カップ)用にレース車両までもが入り乱れ、各々が走りの研鑽に励んでいた。

初級ジムカーナイベントには必ずクローズドクラスが設定されており、その場で会費を支払って主催クラブの暫定会員になればJAF発行の競技ライセンスが無くても公認競技への参加が可能だった。

しかも競技終了後、B級ライセンス申請用紙に主催クラブのクラブ印を押してもらい会費とともにJAFに申請すればB級ライセンスを取得することができた。

かくいう自分もいきなりの実戦参加で大恥かいてライセンスを取得した一人である(笑)。