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2016年1月21日木曜日

1993年ニュージーランドラリーの想い出

1993年のニュージーランドラリーは、スバルがWRCで初勝利を挙げた記念すべきイベントである。

スバルが本格的なWRC挑戦を始めたのは90年4月12~16日のWRC第4戦サファリラリーであった

当時設立されたばかりのSTi、その初代社長 故 久世降一郎氏が富士重工での最後の仕事として総合プロデュースしたクルマが初代レガシィ。この4WDで2Lターボのクルマが、その後の富士重工の生き方を変えることになるのだが、速いスポーティなレガシィをつくった久世氏は、まずそのクルマのデビュー前に、アメリカのアリゾナ・テストコースで、FIA公認の10万km世界スピード記録223.345km/hを89年1月2日につくりあげた。そして、次のステップ、WRC挑戦を始めたのである。

このレガシィ・グループAは速かった。2戦目のアクロポリスでは、SS1でいきなりのトップタイムをマークするのだが、リタイア。90年は7戦して最上位は1000湖の4位だった。翌91年は9戦して最上位がスウェーデンの3位。3年目の92年は7戦してスウェーデンとイギリスRACに2位。確実に表彰台のセンターポジションには近づいているが、いつもいま一歩で勝てなかった。

この頃、富士重工では次期WRCマシンとなるインプレッサWRXを用意。すでに市販を始めていた。そんなインプレッサは、レガシィをよりコンパクトで、WRCのサラブレッドとして仕上げたクルマである。ゆえにレガシィよりインプレッサのほうが速いことは分かりきっていた。しかし、富士重工の考え方は、「レガシィに1勝を与えてから引退させたい」だったのである。

92年からラリースペックとして開発が始まったインプレッサのグループA仕様。そのデビューは93年8月26~29日のWRC第9戦1000湖ラリーと内定していたのである。

一方、レガシィは93年スウェーデンに3位。これ以降、ポルトガル、コルシカ、アクロポリスとレガシィは戦うが勝てなかった。そして最後に残ったのがWRC第8戦、8月5~8日開催のニュージーランドラリーだった。

この年のニュージーランドは4日間、総距離2032.17km、36個所のSSトータルは573.65kmあった。本命はトヨタ。90年から3連勝、ユハ・カンクネンにディディエ・オリオールのグレートドライバー。そして、過去3連勝のカルロス・サインツはジョリークラブのランチャをドライブしていた。さらにフォードは、ミキ・ビアシオンに、ここへ初出場のフランソワ・デルクールという布陣。一方のスバルは、コリン・マクレーとアリ・バタネン、それに地元のポッサム・ボーン。3台のレガシィを出場させていた。

初回第1レグは、まったくの混戦。サインツ、オリオール、カンクネン、マクレーにバタネン、さらにはデルクールらがトップを走り、結果的にはデルクールの1位で終わった。そして第2レグ。その3本目の有名な"モツ"と呼ばれる狭くてツイスティなロングSSでバタネンがサスペンションを壊しリタイア。残るレガシィは2台となった。このモツを得意とするマクレーは、ここでトップに立った。しかし、それをオリオールが抜いた。次のSS15でマクレーが抜き返したが、第2レグの結果は、オリオールのトップだった。

3回目、ラリーはロトルワからオークランドへと戻る。この日、マクレーはオリオールを抜き返した。そしてマクレーは第3レグ最初でトップに立つと、フォードのデルクールをかわし、最終レグもトップをキープしたままゴールのトラベルロッジへと戻ってきた。

こうしてレガシィ、WRC出場28回での初勝利は、ぎりぎりのタイムリミットの中で実現した。
 

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