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2010年10月31日日曜日

小林香織 ' THE THEME OF WINNER '

ご存じ ' CAR GRAPHIC TV ' の初代オープニングテーマ曲である。

気鋭の女性アルトサックス奏者・小林香織のキレのよい演奏が冴える。

この曲を聴くと谷田部の高速バンクを思い出す。

スタートしてから止まるまで一度もブレーキを踏まない超高速周回路。

表ストレートからバンクへ、バンクを出て裏ストレートで最高速計測そして再びバンクへ。

ノーブレーキでバンクに飛び込む時の緊張感。

右手に迫るガードレールが一本の白い直線となって流れ去る。

あ~我が青春の谷田部。

その谷田部も今はもうない。











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ランディ・クロフォード with クルセイダーズ ' Street Life '


アトランタ市街中心部高層ビル群からの俯瞰撮影で映画はスタートする。

冬の早朝、カメラはパンしながら町外れの貨物線の操車場とおぼしき場所を白い息を吐きながら歩くやや猫背気味の男・シャーキー刑事(バート・レイノルズ)にズームインする。

1981年に製作されたバート・レイノルズ主演の映画「シャーキーズ・マシーン」のオープニングシーンである。

このオープニングシーンのバックに流れるのがランディ・クロフォード&クルセイダーズの「ストリート・ライフ」である。

1997年製作のクエンティン・タランティーノ監督作品「ジャッキー・ブラウン(パム・グリア最高!!)」のオープニングでも使われている。

「ストリート・ライフ」は黒人ジャズ・シンガーとして有名なランディ・クロフォードとクルセイダーズとのコラボレーションにより生まれた名曲である。

クルセーダーズは、元々はジャズ・クルセイダーズというジャズ・バンドだったが、1971年からクルセイダーズと名乗りファンキーなフュージョン・バンドに変身した。

当時はラリー・カールトンやデヴィッド・T・ウォーカーらがゲストで参加していた。

1979年、それまでインストゥルメンタル一本槍だったクルセイダーズは初めてヴォーカルを加えたアルバム「ストリート・ライフ」をリリース。ランディ・クロフォードの歌をフィーチャーしたタイトル曲「ストリート・ライフ」がシングルカットされ、アルバムと共に大ヒットとなった。


















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凄強オヤジ  ' スティーブン・セガール '

スティーブン・セガールはオヤジの星である。

その強さ、その気迫、その面構え、セガールこそ誠の武士である。

全身に漲る ' 俺は強いぞオーラ ' (爆)

それを浴びた瞬間、男は怯み女はときめく。

新橋・神田で飲んでるオヤジ達よ! スティーブン・セガールを見習い加齢臭を気迫のオーラに変えようではないか!!










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2010年10月30日土曜日

T-Square   ' Truth '

フジテレビのF1中継初代テーマ曲として余りにも有名なT-Squareの ' Truth '。

この曲を聴くとモータースポーツ専門誌の副編集長だった時代を思い出す。

鈴鹿のF1開催は1987年、時を同じくて参加型モータスポーツ専門誌 ' Speed Mind ' は創刊された。

世はまさにバブル景気真っ只中! 10年ぶりのF1グランプリ開催に日本中が熱狂した。

日本の自動車メーカーは活気づき、様々なバリエーションのスポーツモデルが続々と発売された。

80年代中盤から90年代初頭、それは日本の自動車史上最高の時代であった。









桜井幸彦伝説

その衝撃的な走りを初めて目撃したのは1985年全日本ラリー選手権第10戦モントレー'85だった。

この年のモントレーは群馬県の草津温泉がスタート&ゴールだった。

ギャラリーステージはスタート地点からほど近い草木ダム付近の林道に設定されたSS1とその逆走となるSS2の2本。

当時は今では考えられないほど全日本選手権国内ラリーの人気は高く、憧れのトップドライバーの走りを一目見んと、全国から大勢のギャラリーがつめかけた。

ラリー当日の天候は曇り。しかし、午後になりSS1がスタートする頃には重く垂れこめた雲間からポツリまたポツリと雨滴が落ち始めた。

コースクリアの先行車が通過してほどなくSS1がスタートした。

当時、最高位であるCクラスの主力車種はAE86であったが、空冷インタークーラーの装着によりグロス160PSまでパワーアップされたG62B型エンジンを搭載するA175A型ランサーターボにその地位を脅かされつつあった。

草木ダムのSS1、2は、長い上り(下り)の直線と連続した複合コーナーとが組み合わさった豪快且つテクニカルなコース。

パワーに勝るランサーターボ勢は直線に勝負をかけ、パワーと排気量で劣るAE86勢は完熟の域に達したサスペンションセッティングを活かしたコーナーに勝負をかけていた。

ランサーターボ勢が抜群の直線加速を見せれば、AE86勢は変幻自在のコーナリングテクニックで複合コーナーでその差をつめる。まさに一進一退の攻防戦となった。

SS2がスタートして10台目くらいだっただろうか。吹け上がった4AGサウンドを響かせ、一台のAE86が長い直線にその姿を現した。

速い! 直線スピードはパワーに勝るランサーターボをも凌ぐほど速いではないか!

クルマが近付くにつれ、4AGサウンドは咆哮へ、そして悲鳴へと変わった。

フル・スロットルなどという生易しいものではない。恐らくドライバーは床を踏み抜くほどスロットルペダルを踏んでいるに違いない。

もっとパワーを! もっとスピードを! ドライバーが奥歯をギリギリと噛みしめ、そう心の奥で絶叫している。そんな鬼気迫る走りだ。

エンジンの悲鳴とギシギシというボディの軋む音、それにタイヤが激しく小石を蹴散らすバラバラという音とともに眼前をAE86が通過した瞬間、泥にと土にまみれたボディのカラーリングが群馬の名門ラリーチューナー「キャロッセ」のものである事に気づいた。

緩い下りの直線の終わりは左複合コーナー。巻き込みながら道の勾配もきつくなる。

鬼のようなスピードで直線区間を駆け抜けたAE86は、複合コーナーの遥か手前、まだ直線区間を50メートルほど残したところで一瞬コーナーの反対方向である右にノーズを向けた。そしてその次の瞬間、一気に左へステアリングを切り込みんだ。イニシャルD的に言えば「なに?!フェイントモーション!」。

フェイントモーションとは、旋回の直前に一度車体を旋回方向とは逆方向に振ってからに旋回に入る操作で、一度アウト側に車体を振ることにより発生したヨー(慣性)を強制的にイン側に移すコーナリングテクニックである。

フェイントモーションは、通常コーナーが中途半端な曲率の時や、コーナーの深度が読み切れないブラインドコーナーなどには使われるが、高速からの進入では余り使われない。荷重移動のタイミングを誤ればコースアウトかスピンのリスクが高いからだ。

しかし、そのAE86のドライバーは高速域からのフェイントモーションを神業的なタイミングできめた。

フェイントモーションにより、直進状態から一気にリヤを滑り出しドリフト状態に入ったAE86は、信じられないスピードで左複合コーナーへ進入。そのままノーズでイン側の崖を削るよな深いドリフトアングルを保ち、矢のようなスピードで連続する複合コーナーを駆け下って行った。

全身に鳥肌が立っていた。

このAE86のドライバーこそ、若き日の桜井幸彦その人である。









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デスペラード

わずか7000ドルという驚異的な低予算で製作された「エル・マリアッチ」がハリウッドメジャーに高く評価されたロバート・ロドリゲス。

その代表作とも呼べるのは、マリアッチ3部作の2作目となる「デスペラード」だろう。

これぞまさに男の色気! フェロモン全開のテキーラアクションである。

バンデラスがカッコよすぎる。セクスィーである。正直、抱かれてもいい(爆)。

「視線で殺す」とは、まさにバンデラスのためにある言葉。

六本木のAGAVE(アガベ)で一緒にテキーラ飲みて~!









ランチャ・ラリー037

1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへと変更された。

Gr.4の公認を取得するには年間400台(当初500台)の生産台数が義務付けられていたが、Gr.B規定の導入により年間僅か200台を生産するのみでホモロゲーションの取得が可能となった。

Gr.4時代、ベルトーネの鬼才マルチェロ・ガンディーニによる前衛的且つ未来的なボディフォルムに、フェラーリ・246ディノのV6パワーユニットをミドマウントした'ストラトス'で輝かしい戦績を誇ったランチャは、新たなGr.Bマシンとしてストラトスの正常進化モデルとでも言うべきラリー037を開発、実戦に投入した。

フィアット131アバルトのエンジンにスーパーチャージャーを装着したパワーユニットは、中速域でのレスポンスとトルク特性を重視したセッティングが施された。エンジンのチューニングはアバルトが手掛け、当初1998ccだった排気量は、1984年のエボリューション2では2111ccまで拡大され、最高出力も325馬力までパワーアップされた。

サスペンションは前後ともダブルウッシュボン式、リヤのショックアブソーバにはダブルダンパー方式を採用している。

1983年、4WDマシンであるアウディ・クアトロと激戦を演じ、僅か2ポイント差でチャンピオンカーに輝いたラリー037は、2WD最後のチャンピオンカーとしてWRCファンの心に刻まれる事となった。











マンクス・インターナショナル・ラリー'84

1984年のマンクス・インターナショナル・ラリーである。

まずドライバーが凄い。

トニー・ポンド、故コリン・マクレイのオヤジ、ジミー・マクレイ、パー・エクルンド、ユハ・カンクネン、ハヌ・ミコラ等々、まさに綺羅星のようなラインナップ。まさにオールスター戦。

次にマシンが凄い。

アウディ・クアトロ、ルノー5ターボ、ポルシェ911、AE86カローラレビン、オペル・マンタ400、フォード・エスコート、フォルクスワーゲン・ゴルフ等々、Gr.B、Gr.A入り乱れての大バトル。

マンクス・ラリーは、起伏に富んだマン島のワインディングロードが戦いの舞台である。

濃霧が垂れ込めたワインディングを、コ・ドライバーが読み上げるペースノートだけを頼りに全開で駆け抜けてゆくトニー・ポンドのオンボード映像を観れば、マンクス・ラリーの凄まじさが理解できる。









Gr.5ランチャ・ストラトスの咆哮を聞け! ジロ・デ・イタリア '79

1979年にイタリアで開催された第7回ジロ・デ・イタリアの貴重な映像である。

冒頭、なんといきなりジル・ビルヌーブのインタビューが!! ジャックではない、そのオヤジのジルである。久しぶりに見るハンサムぶりに感激である。

それにしてもエントリー車両の豪華なこと! ド派手なGr.5・シルエットフォーミュラーマシンが全開で公道を駆け抜ける究極の公道レース、それがジロ・デ・イタリアなのだ。

その中でも一際異彩を放つのがランチャ・ストラトス。ド派手な空力パーツの装着と延長されたホイールベースにより、尖鋭的なオリジナルデザインを遥かに凌ぐ異界のマシンへと変貌と遂げている。

進化したのはボディフォルムだけではない。ラリー用の2.4ℓ V6エンジンのヘッドは3バルブ化され、クーゲルフィッシャー製フューエル・インジェクションとKKK製ターボで武装、その結果、最高出力530馬力までパワーアップされている。

Gr.4、Gr.5入り乱れての公道バトルを沿道で観戦できるイタリア人はなんと幸せな事か!

因みに、ジロ・デ・イタリアとは「イタリア風」という意味、いかにも納得である。




♪ コミック雑誌なんかいらない ♪

かつて「頭脳警察」という超過激なパンクロックグループが存在した。

リーダーのパンタは、デビューステージである日劇ウェスタンカーニバルにおいて、観客の眼前で自慰行為をし、満員の聴衆の度肝を抜いた。

日本ロック史に燦然と輝く金字塔「コミック雑誌なんかいらない」は彼らのオリジナルナンバー(作詞・作曲ともにパンタ)である。

そして内田裕也、彼こそまさにKING OF ロッケンロー、日本ロック界のドン、重鎮中の重鎮である。

齢70に手が届かんとするカリスマもまた「コミック雑誌なんかいらない」をシャウトする。

人生、楽しく生きてればマンガとゲームと博打と薬はいらない。

真面目人間不眠症、悪い奴ほどよく眠る(笑)

この曲を聴けば鬱もストレスも吹っ飛ぶさ!

レッツ ロッケンロー!!














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Tribute Gr.B Rally Cars


レーシングマシンのシャシーに500馬力を超えるパワーを絞り出す超高性能エンジンを搭載した究極のモンスター。公道最速にして最強のラリーカー・Gr.B。

アウディ・クアトロ、ランチャ・ラリー037、ランチャS4、プジョー205T16、MGメトロ6R4、フォードRS200、ルノー5ターボ、トヨタ・セリカ、まさに百花繚乱。世界中の自動車メーカーがその技術力の粋を結集して創りだした恐竜達が地球上雄たけびを上げ、疾駆していた狂気の時代。

猛るマシンを捩じ伏せるのはマルク・アレン、ヴァルター・ロール、ユハ・カンクネン、ティモ・サロネン、そして悲劇のヒーロー、ヘンリ・トイボネンといったラリー史上にその名を残す綺羅星の如きドライバーたち。それは、まさにマシンと人間との格闘でもあった。

Gr.B Rallying、それは公道を舞台に繰り広げられる500馬力のロデオである。











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