ページ

2012年1月22日日曜日

ナイトライダー2008&フォード・シェルビーGT500 KR


1982年から1986年まで、全米並びに全世界で放映され、熱狂的な大ブームを巻き起こした「ナイトライダー」。

人工知能「K.I.T.T.」(キット)を搭載した夢のスーパーカー「ナイト2000」とベースとなったのは、GMのポンティアック部門を代表するスポーツモデル、ファイアーバード・トランザムだった。

当時、アメリカではナイトライダー放映開始と同時に黒のファイヤーバードが爆発的なセールスを記録。

元々が、第3世代ファイヤーバードのプロダクトプレイスメントを目的として製作されたナイトライダーだったが、その売れ行きの余りの凄まじさに、車両を提供していたGMサイドから製作陣に対し「ポンティアックのロゴをエンドロールから消してくれ」との要請があったという逸話まで残っている。

その伝説のテレビドラマ「ナイトライダー」が、2008年にリメークされ「ナイトライダー2008」となって蘇った。

注目のナイト2000は「ナイト3000」にバージョンアップされ、ベースとなる車両もファイアーバード・トランザムからフォード・ジェルビーGT500KRへと変更された。

「マイケル、それは間違っています」クールでお茶目な人工知能「K.I.T.T.」(キット)も健在。ボンネット先端部分の赤いLEDのフラッシャーはこれまで通りだ。

さらに、今回のナイト3000、なんとトランスフォーメーションが可能で、スポーツカーからSUVまで、どんなフォルムのボディにも変身可能! そして、なんと空まで飛んじゃうのだ!!

ベース車両のフォード・シェルビーGT500 KRは、2008年に1000台限定で販売されたスペシャルモデルで、1969年に限定販売されたジェルビーGT500 KR(King of Road)の現代版である。

奇しくも(?)KRは「Knight Rider」のイニシャルでもある。












2012年1月21日土曜日

ショットガンを超近接戦闘で使い倒す!


近接戦闘において、最も効果的な武器がショットガンだ。

どちらかと言えば、これまでメインウェポンというより、広範囲を面でカバーするバックアップ用として位置づけが強かったショットガンだが、近年のECQB(超近接戦闘)では、0~5ヤードというほぼゼロレンジコンバットにおいてもショットガンを積極的に活用する。

現在の超近接戦闘においては、これまでの「SMG(サブマシンガン)がメインで、ハンドガンはバックアップ、ショットガンはカバーとフォロー」といった既存のクライテリアは存在せず、臨機応変にそれぞれの武器のメリットをフルに引き出す' 戦闘技術 ' に最も力点が置かれている。

余談だが、ショットガンのリコイルは瞬間的だが大きい。自由に使いこなすには、上半身、特に頑丈な肩を作っておくことが必要だ。









ムキムキマン  ' エンゼル体操 '


渋谷の東急ハンズにほど近い' ボルツ ' というカレー専門店で、15倍カレー(辛さがタバスコの15倍! 最高は30倍)にハマっていた1977年頃に大流行していたのが「エンゼル体操」。

ギリシャ神話を題材にしたアメリカのカートューン ' マイティ・ハーキュリー ' もかくやといういでたちで、大胸筋をピクピクさせながら奇妙な体操を披露する謎のマッチョマン! 

「エンゼル体操」は、当時テレビ朝日で日曜日の16:30~17:00の30分枠で放映していた「出没!!おもしろマップ」のレギュラーコーナーからブームに火がついた。

奇妙な振り付けはナンセンス漫画金字塔として日本漫画史にその名を刻む「がきデカ」の作者・ 山上たつひこ。ムキムキマンのコスチュームデザインは ' オバチャマ ' こと映画評論家の小森和子。作詞は放送作家界の奇才・景山民夫。そして歌うは かたせ梨乃。なんともはや豪華なメンバーである。

ムキムキマンに触発され、ウエイト・トレーニングに励み始めたのもこの頃ww

風呂上がりに、鏡の前で全裸でエンゼル体操をするのが日課だった(爆)。









2012年1月19日木曜日

スバル レオーネスイングバック1600SRX

免許とりたての1980年頃、北海道の知り合いから借りて暫く乗っていたのがスバル レオーネスイングバックSRXだった。

雪が多い北海道においては、乗用車型の4WD車を生産する唯一の国産メーカー(当時)であったスバルは超人気のメーカーだった。北海道ではスバル車はめちゃくちゃステータスが高かったのだ。

でもね、このスイングバックはFF車。1600と1800にパートタイム4駆のモデルはあったが、走り屋の知り合いは敢えてFFホットハッチのSRXに乗っていた。

水平対向4気筒 OHV 1600ccエンジンに、ゼニス・ストロンバーグ製のキャブレーターを2連装したパワーユニットは、最高出力100PS、最大トルク12.5kg-mを絞り出す。

因みに、このエンジン、基本的にはフォーミュラーカーのカテゴリーであるFJ1600に搭載されるパワーユニットと同一のもの。

確か870kg位の車重だったので、たかだか100PSでも走りは軽快だった。

オーバースクエアなエンジンのため、低速域でのトルク感は薄いものの、その分エンジンレスポンスは良好で、3000rpmから6000rpmまではOHVとは思えないほどの吹けあがりを見せた。

トランスミッションも5速クロスミッションが標準なので、狭いパワーバンドを有効に活用できた。

当時のスバル車はスペアタイヤがエンジンルーム(しかもエンジンの真上w)にあったり、パーキングブレーキが駆動輪のフロントだったりと、シュール盛り沢山だったが、このSRXもその例外ではなく、スバルならではの個性溢れる一台だった。

こんな面白いクルマが100万円台で買えたいい時代、もいちどアゲインだよな~(笑)。











看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

2012年1月15日日曜日

ザ・ベンチャーズ ' 秘密諜報員(Secret Agent Man) '


やっぱ俺様の音楽の原点だよな~、テケテケサウンド。

小学校の頃、世はまさに空前のエレキブーム。

当時、高校では「エレキやっている奴は不良」のレッテル貼られてたんだぜ(爆)。

町内会のクリスマス会で、近所のエレキに' いかれた ' お兄さん(近所のオバサンが噂してたWW)が演奏するベンチャーズ、カッチョよかったな~。

あ~懐かしの昭和40年代。










看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

2012年1月13日金曜日

長崎犯科帳


空に真っ赤な雲の色
玻璃に真っ赤な酒の色
何でこの身が悲しかろ
空に真っ赤な雲の色

江戸末期の長崎は、オランダ貿易に開かれた唯一つの港であり、巨大な利権と暴力の渦巻く暗黒の街であった。
この利権を操る者は一握りの豪商達であり、貧しい町民たちは彼らの搾取に泣きその暴力に怯えるしかなかった

ここに、白日の法の下で裁くことの適わぬ者は闇の法の下に斬ると思い定めた闇の裁き人達が登場する。

人、これを呼んで闇奉行という。

('長崎犯科帳' のOPナレーションより)


萬屋錦之助演じる長崎奉行・平松忠四郎は、悪徳商人から賄賂は受け取るわ、遊郭で接待されるは、酒は大好きだわと、今で言うところのキャリア官僚の典型とも言える人物。

しかし、その正体は、法で裁けぬ悪人を闇に裁いて仕置きする' 闇奉行 ' であった。

「昼行灯(ひるあんどん)」と、たかをくくる悪徳商人どもから、「山吹色の甘~いカステ~ラ」と称する賄賂を受け取り、その金を闇の裁きの資金源にあてている。つまり、悪人は自らの金で自らを滅ぼすのである。まさに「毒をもっとて毒を制す」。

何度観ても爽快なんだよな~長崎犯科帳。

白頭巾をかぶり、白装束を身に纏った闇奉行が、悪人のを斬る前に「俺の顔を拝ませてやるよ」と言って頭巾をとり、悪人が驚愕して「な、長崎奉行~!」と叫んだ瞬間にたたっ斬る! 賄賂はもらうは、命はもうらうは、もうやりたい放題の闇奉行(爆)。でも、いいんです。錦ちゃんだからww

悪人は自らの金で自らを滅ぼす。

闇奉行、欲にとり憑かれた魑魅魍魎が跋扈する現代にこそ出現してほしいものだ。











看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

2012年1月11日水曜日

Everything that has a beginning has an end.

' Everything that has a beginning has an end '

 
物事には始まりと終わりがある。









THE HIGH LOWS ' 日曜日よりの使者 '

やっぱいいな~ ' THE HIGH LOWS ' 。

この曲聞くとHONDAだよね~。あっ、それと三池祟史監督、哀川翔主演の映画「ゼブラーマン」ね(笑)。

HONDAが光り輝いていた時代だよね。インテグラRもあったし。

「こだわり」と「独創性」、HONDAイズムが息づいていた良き時代。

しかし、改めてコマソンの力って凄いな~って感じてしまう。

博報堂のCMプランナーも「この頃は」センスよかったじゃん(爆)













看護師転職サービスに不満を感じた事がある?
はい・・・(-_-;)の方は
ナースコンシェルジュ

2012年1月4日水曜日

デ・トマソ・パンテラ


デ・トマソ・パンテラは、流麗なイタリアンデザインのボディにフォード製V8エンジンを搭載した、極めて魅力的なエキゾチックスーパーカーである。

1960年代後半、当時フォードの副社長だったリー・アイアコッカが、自社のブランドイメージ向上のために「フォードGT40のイメージを踏襲するスポーツカー」のプロジェクトを企画、そのプロジェクトにアレッサンドロ・デ・トマソを召喚したことからパンテーラは誕生した。

このプロジェクトの最大の目標は、徹底的にコストダウンを推し進め、大量生産による廉価なスポーツカーを売り出すことにあった。

デザインは、当時デ・トマソ傘下で、フォードとも密接な協力関係にあったギア社のトム・ジャーダが担当し、ボディ構造は量産性に優れるモノコックが採用された。

サスペンションはスポーツカーの定番とも言える、ダブルウィッシュボーン式を前後に採用している。

エンジンはフォード製の351CDIユニット、通称「クリーブランド」を搭載。排気量5.8リッターの水冷V型8気筒OHVエンジンは、最高出力330馬力、最大トルク45㎏-mを発生するが、特にチューニングされたものではなく、コストダウン重視でほとんどノーマルの状態でミドシップに搭載された。

その結果、最盛期の1972年には2700台以上を販売し、この種のスーパーカーとしては異例の大ヒットとなった。

この恐竜のようなスーパーカーは、激動のオイルショックをも生き残り、1990年代まで生産が継続された。








2012年1月3日火曜日

日本初のターボ搭載車 ' 日産430型セドリック '


1979年10月、日本初のターボ搭載車第一号である日産の430型セドリックがデビューした。

SOHC6気筒2000ccのL20E型に、ギャレット・エアリサーチ社のターボチャージャーを装着したL20ET型エンジンで、145PS/5600rpmの最高出力と、21.0kg-m/3200rpmの最大トルクをそれぞれ絞り出した(ともにグロス)。

因みに、このエンジンは今思えば「ポン付けターボ」いわゆる「ボルトオンターボ」に近い感じの仕上がりだった(笑)。L型エンジンは元々頑丈なエンジンなので、厚手のガスケットをかまして圧縮比を落とし、過給圧を低めに抑えればそう簡単には壊れない。とりあえずターボを装着するには最適なベースユニットだ。もちろん、インタークーラーも装着されていない。

何しろ、この当時は監督官庁である運輸省が厳しくてスポーティーなモデルでは認可が下りなかったのだ。

そのため日産は敢えてアッパーミドルクラスであるセドリックにターボエンジンを搭載したのである。

430系にはSOHC6気筒2800ccのL28E型を搭載車もあったが、L20ET型は2000ccの排気量ながら、上級クラスのパワーユニットに迫るパワーとトルクを発揮した。まさにターボマジックである。

デビュー当時、知り合いの社長がターボ搭載モデルである200Eターボに買い替えた。200EにははOD付きフルロックアップ4速ATと5速マニュアルの二種類のトランスミッションが用意されていたが、その社長は走り屋なので5速マニュアル車を選んだ。そのクルマを東名で運転させてもらった。

80kmから100kmからの加速は同クラスの国産車とは段違い。大柄だがボディが比較的軽いこともあり、4速あたりからアクセルを踏み込むと、まさに一気呵成の加速を見せる。現在のターボ車から比較すれば、決して怒涛の加速とは言い難いが、やはりNAのL20E型エンジンとは全く次元の違く加速感だった。

惜しむらくは、タービンの性格がおとなし目で過給圧も低いのためターボラグが大きく、アクセルレスポンスは悪かった。5速マニュアルよりも4速ATの方がエンジン特性にマッチしていたように思う。

さらに、ボンネット内部のベンチレーションに難があり、ターボが発する熱気が籠りやすく、熱ダレによるパワーダウンが早かった。これはインタークーラーが装着されていないことにも関係している。

すべては当時のレベルなので現代の基準から見れば未完成な部分ばかりが目立つが、日本初のターボ搭載車を世に送り出した日産の功績は高く評価されるべきだろう。











A/Rとホンダのウイングターボ


A/Rと書いて「エーバイアール」と読む。

A/Rとは排気ガスの吸入面積を吸入面の中心からタービンの中心までの距離で割った数値で、ターボチャージャーの性格を決定づける重要な要素である。この数値が小さければ低速型、大きければ高速型のターボチャージャーとなる。

かつてホンダの初代レジェンド(1988年10月14日にマイナーチェンジされたKA5型レジェンド)に搭載されたC20A型エンジン(1996cc V型6気筒 OHC)に装着されたターボチャージャーには、このA/Rを可変的に変化させ、全域でのトルクアップを図ることを目的としたユニークなシステムが採用されていた。

ウイングターボと名付けられたこのシステムは、タービンブレードの周りを4枚の固定ウィングと可変ウィングで取り囲み、エンジンの運転状況により可変ウイングを作動させること固定ウイングとのノズル面積を調整してA/Rを変化させるものだった。

このシステムによりエンジンの運転状況に応じた最適なA/Rが得られるので、ターボチャージャーのポテンシャルをフルに引き出すことが可能となった。

また、高まりすぎた過給圧を調整するためのウエイストゲートが不要となるため、エネルギー損失の面でも有利なシステムだった。

初代レジェンドには、このウィングターボシステムの他にも、専用のラジエーターを持った水冷ターボチャージャーを採用したり、熱対策に対応するための小型ファンをボンネット裏に装着するなど、ホンダならではの独創的且つ斬新なメカニズムが随所に散見された。

余談だが、過去にこのクルマを試乗する機会があったが、ターボラグを全く感じさせない滑らでリニアな出力特性と全域での回転領域での図太いトルクは、ひとクラス上の大排気量者を思わせるものだったように記憶している。

ターボチャージャーの多様性を感じさせてくれた画期的なテクノロジーであった。