2011年9月13日火曜日
日本のルアーフィッシング草創期 1970年代 Part.2
1970年代、日本のルアーフィッシング界のトレンドリーダー的役割を担ったのは産報出版(当時の社名)が発行する月刊誌「フィッシング」だった。
当時、高度成長期の恩恵を受け余暇産業は花盛り。とりわけ「釣り」は比較的お金のかからない手軽なレジャーとして国民的人気を得ていた。そうした社会背景が追い風となり、釣り具業界は活況に満ち溢れていた。その恩恵を最も受けたのが釣り雑誌だった。
1970年代は「釣りマガジン」、「つり人」、「フィッシング」といった総合誌のみならず、大小様々な規模の釣り雑誌が乱立していた。しかし、この時期はまだルアー専門誌は存在していなかった。
70年代初頭から始まった日本のルアーフィッシングブームはまだ発展途上にあり、着実に愛好者数は増加してはいたものの、既存のエサ釣り人口に比べまだまだその規模が小さく、単独媒体を発行できるほどのマーケットには至っていなかったからである。
その時期、ルアーフィッシングで使用されるタックルを輸入する商社も大幅に増えていた。新商品・新ブランドにとって固定読者を抱える専門誌の存在は極めて重要だった。
「告知とブランディングにはトレンド作りが必要だ」。恐らく、新勢力の意向と媒体の差別化戦略が合致したのだろう。老舗である「釣りマガジン」、「釣り人」の2誌が、あくまでも既存のエサ釣りを中心とした誌面構成を堅守する中、月刊フィッシングだけは次第にその軸足をルアーフィッシングへと移行させていった。
「中禅寺湖のネイティブトラウト」、「本栖湖のモンスターブラウン」、「雄蛇ヶ池 リリーパッドでのトップウォーターゲーム」、「ため池ライギョフィッシング」等など、毎号毎号ルアーフィッシングに関する新しい提案がなされ、使用するタックル、テクニックの詳細が掲載された。ルアーフィッシングの可能性を追求する新感覚雑誌の誕生である。絶対的な情報量が少なかった当時のルアーフィッシング愛好家達は、月刊フィッシングが発信するニュートレンドから目が離せなくなっていった。
月刊フィッシング誌は釣り具業界と連携し、今で言うところの「タイアップ」に近い巧みな誌面構成により最新トレンドの提案と同時に新商品の告知、ブランディングを行った。その鮮やかな手法は現代の女性誌に相通じるものがあった。
1970代後半、ルアーフィッシングの中でも特に人気が高いバスフィッシングに関する新なトレンドが月刊フィッシングとTRGC(東京ロッド&ガンクラブ)のコラボレーションにより誕生した。
ビッグプラグによるトップウォーターバシングである。