2013年からのWRC参戦を表明しているフォルクスワーゲンが、その戦闘マシンであるPOLO WRCのフィンランドテストを実施した。
POLO WRCは、市販のPOLOをベースに開発され、搭載される直噴1.6リットル直列4気筒ガソリンターボTSIエンジンは、最大出力300ps、最大トルク35.7kgmを発生する。
開発は2度のWRCチャンピオンに輝いたベテラン、カルロス・サインツが担当し、当初からその戦闘力の高さが噂されていたが、フィンランドの高速グラベルでの操安性やジャンプ後の着地後の安定性を見ると、その噂の信憑性の高さが窺える。
フィンランドでのテストにはテストドライバーとしてセバスチャン・オジェが参加。
典型的なフィンランドラリーの高速コースをハードに攻め込んでいる。
2012年6月27日水曜日
2012年6月25日月曜日
PORSCHE 911 GT2 VS MITSUBISHI LANCER EVOLUTION Ⅷ MR RS
ニュルブルクリンクサーキットオールドコース(ノルドシュライフェ)でのポルシェ911GT2と三菱ランサーエボリューションⅧ MR RSとのバトルである。
このエボⅧは485馬力までパワーアップしているらしいが、そのハイパワーを三菱御自慢の4WDシステムが見事にトラクションに転化している。
コーナーの立ち上がりでは瞬間的に引き離されるが、エボのブーストが立ち上がると一気にその差は縮まり、ポルシェはブッチぎることができない。
因みに、画面下側のデータロガーの映像、右側のスピードメーターはマイル表示。
中速ベンドでの立ち上がりでは2WDのGT2に比べエボはややアンダーが強いが、高速域でのコーナリングはポルシェGT2に勝るとも劣らない。
時速100マイル(約160km/h)あたりの張り付くようなコーナリングに注目。
中古のエボ買っていじるかなww
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2012年6月24日日曜日
アウディ・クワトロ
現在、世界ラリー選手権を戦う主力マシンは4WD+ターボ車であることが前提条件になっているが、四半世紀前まで、このコンセプトをラリーマシンに投入することは無謀と信じられていた。
それに敢えて挑戦し、その上チャンピオンまでもぎとり、ラリー界の常識を一変したエポックメーカー、それがアウディ・クワトロである。
1981年1月1日にFIAの公認を取得し、開幕戦のモンテカルロ・ラリーから世界ラリー選手権に登場してきたクワトロだが、実はその登場までには入念な準備期間があった。
1978年5月には4気筒のアウディ80をベースに4WDシステムを組み込み、マクファーソン式ストラットのサスペンションと200ターボのブレーキが移植されたラリー用プロトタイプが製作された。
1979年には当時No.1ラリードライバーだったハヌー・ミッコラがニューマシンのテストに招かれた。
ミッコラは僅か30分ステアリングを握っただけで、クワトロをラリーマシンとして仕上げるためのテストドライバー契約をアウディと交わした。
クワトロのラリーカーとしてのポテンシャルはそれほどインパクトの強いものだった。
WRC参戦を目的にアウディ・モトールシュポルトが創設され、1981年からミッコラと女性ドライバーのミシェル・ムートンをドライバーに起用し、最高出力360馬力を搾り出すDOHC5気筒の縦置きエンジンとフルタイム4WDを搭載したクワトロで活動を開始した。
デビュー戦のモンテカルロでは2台でもリタイアとなったが、雪のスウェーデンではミッコラが優勝を果たす。
後年ミッコラは「スウェーデン以外のドライバーとして初めてスウェディッシュラリーを制したドライバーという名誉を与えてくれたマシンだ」と語っている。
ミシェル・ムートンが女性ドライバーとしてだけでなく、トップドライバーとして認められたのもクワトロがあればこそだった。
ムートン自身、「クワトロがなかったらサンレモでの優勝できなかっただろう。今の私があるのはこのマシンがあったから、一番好きなクルマだし、一番好きなチームだった」と懐かしそうに語っている。
1982年にはスティグ・ブロンキストが加わりメイクスチャンピオンを獲得したが、ドライバーシリーズは2、3、4位という成績で終わり、ドライバーズチャンピオン座はライバルのロールに譲った。
Gr.Bの過渡期となった1983年、ミッコラは4回の優勝でチャンピオンとなったが、メイクスタイトルは逃した。
1984年5月にエボリューションモデルのクワトロスポーツが公認を取得した。
ウォルター・ロールを加え、4人のドライバーと揃えたアウディは、メイクスとドライバーズのダブルタイトルを手中に収めた。
しかし、Gr.Bの禁止、アウディのWRC活動中止もあり、パワー的に450~600馬力までパワーアップしていたクワトロスポーツは、それ以降、北米のIMSAレースやパイクスピーク・ヒルクライムといったパワーを競う競技にしか活路を見いだせなくなっていった。
アウディ・クワトロが誕生してから32年、今や世界ラリー選手権のトップマシンといえば4WDターボがベースのワールドラリーカーだが、アウディ・クワトロが存在しなければ今のワールドラリーカーは出現し得なかった。
クワトロこそ、今をときめくワールドラリーカーの原点なのである。
それに敢えて挑戦し、その上チャンピオンまでもぎとり、ラリー界の常識を一変したエポックメーカー、それがアウディ・クワトロである。
1981年1月1日にFIAの公認を取得し、開幕戦のモンテカルロ・ラリーから世界ラリー選手権に登場してきたクワトロだが、実はその登場までには入念な準備期間があった。
1978年5月には4気筒のアウディ80をベースに4WDシステムを組み込み、マクファーソン式ストラットのサスペンションと200ターボのブレーキが移植されたラリー用プロトタイプが製作された。
1979年には当時No.1ラリードライバーだったハヌー・ミッコラがニューマシンのテストに招かれた。
ミッコラは僅か30分ステアリングを握っただけで、クワトロをラリーマシンとして仕上げるためのテストドライバー契約をアウディと交わした。
クワトロのラリーカーとしてのポテンシャルはそれほどインパクトの強いものだった。
WRC参戦を目的にアウディ・モトールシュポルトが創設され、1981年からミッコラと女性ドライバーのミシェル・ムートンをドライバーに起用し、最高出力360馬力を搾り出すDOHC5気筒の縦置きエンジンとフルタイム4WDを搭載したクワトロで活動を開始した。
デビュー戦のモンテカルロでは2台でもリタイアとなったが、雪のスウェーデンではミッコラが優勝を果たす。
後年ミッコラは「スウェーデン以外のドライバーとして初めてスウェディッシュラリーを制したドライバーという名誉を与えてくれたマシンだ」と語っている。
ミシェル・ムートンが女性ドライバーとしてだけでなく、トップドライバーとして認められたのもクワトロがあればこそだった。
ムートン自身、「クワトロがなかったらサンレモでの優勝できなかっただろう。今の私があるのはこのマシンがあったから、一番好きなクルマだし、一番好きなチームだった」と懐かしそうに語っている。
1982年にはスティグ・ブロンキストが加わりメイクスチャンピオンを獲得したが、ドライバーシリーズは2、3、4位という成績で終わり、ドライバーズチャンピオン座はライバルのロールに譲った。
Gr.Bの過渡期となった1983年、ミッコラは4回の優勝でチャンピオンとなったが、メイクスタイトルは逃した。
1984年5月にエボリューションモデルのクワトロスポーツが公認を取得した。
ウォルター・ロールを加え、4人のドライバーと揃えたアウディは、メイクスとドライバーズのダブルタイトルを手中に収めた。
しかし、Gr.Bの禁止、アウディのWRC活動中止もあり、パワー的に450~600馬力までパワーアップしていたクワトロスポーツは、それ以降、北米のIMSAレースやパイクスピーク・ヒルクライムといったパワーを競う競技にしか活路を見いだせなくなっていった。
アウディ・クワトロが誕生してから32年、今や世界ラリー選手権のトップマシンといえば4WDターボがベースのワールドラリーカーだが、アウディ・クワトロが存在しなければ今のワールドラリーカーは出現し得なかった。
クワトロこそ、今をときめくワールドラリーカーの原点なのである。
2012年6月18日月曜日
FIAT 131 ABARTH
ヘビースノーコンディションでの戦いとなった1980年の第48回モンテカルロラリーで、1960年のメルセデス・ベンツ以来、FR(後輪駆動)車として実に20年振りに優勝を飾ったマシン、それがフィアット131アバルトラリーである。
モータースポーツへの長い参戦歴を持つフィアットにとっても、この時がモンテカルロラリー初制覇となった。
フィアット131アバルトラリーは、WRC参戦のため、当時のGr.4規定に合わせて製造したホモロゲーションモデルである。
太いタイヤを履かせるために装着された大型のオーバーフェンダーにより、なんの変哲もなかった2ドアファミリーセダンの131ミラフィオーリは、迫力溢れるボディフォルムへと変貌を遂げた。
また、車体の大部分にはグラスファイバーが採用され、車両重量が975kgまで軽量化が図られた。
ランチャから供給された4気筒 1995cc DOHC 16バルブエンジンは、キャブレーター仕様が140ps/6400rpm、クーゲルフィッシャー製の機械式燃料噴射装置を装着した仕様が215ps/7000rpmのパフォーマンスをそれぞれ発揮した。
さらに、ベースカーでは5リンク式リジッドだったリヤサスペンションも変更され、前後ともマクファーソン・ストラットの4輪独立懸架となった。
1980年の初戦モンテカルロラリーに、フィアットチームは計5台の131アバルトラリーを送り込んだ。
ラリー序盤、エースのマルク・アレン組がトップに立ったものの、アクシデントにより早々にリタイアとなる。
その後を受け、トップに立ったのはワルター・ロールとクリスチャン・ゲイストドルファー組だった。
ロール/ゲイストドルファー組のフィアット131アバルトラリーは、圧倒的な速さと安定した走りでトップをキープ、そのまま栄光のゴールを果たした。
以前一度、オッティモ・コンディチーネ(最上級のコンディション)のフィアット131アバルトラリー・ストラダーレのステアリングを握る機会があったが、エンジンのフィーリングは、なぜかPF60型ジェミニZZに搭載されたG180WE型エンジンに似ていた。さらに、そのハンドリングも近かった。要は、典型的なFR車のそれと、典型的な4気筒DOHCエンジンのそれである。
スモールカーにビッグエンジン、どアンダー、まさにホモロゲーションモデルの典型であった。
速く走るにはドライバーのスキルが不可欠、ねじ伏せる楽しみをドライバーに与えてくれる最高のマシンである。
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ナースコンシェルジュ
モータースポーツへの長い参戦歴を持つフィアットにとっても、この時がモンテカルロラリー初制覇となった。
フィアット131アバルトラリーは、WRC参戦のため、当時のGr.4規定に合わせて製造したホモロゲーションモデルである。
太いタイヤを履かせるために装着された大型のオーバーフェンダーにより、なんの変哲もなかった2ドアファミリーセダンの131ミラフィオーリは、迫力溢れるボディフォルムへと変貌を遂げた。
また、車体の大部分にはグラスファイバーが採用され、車両重量が975kgまで軽量化が図られた。
ランチャから供給された4気筒 1995cc DOHC 16バルブエンジンは、キャブレーター仕様が140ps/6400rpm、クーゲルフィッシャー製の機械式燃料噴射装置を装着した仕様が215ps/7000rpmのパフォーマンスをそれぞれ発揮した。
さらに、ベースカーでは5リンク式リジッドだったリヤサスペンションも変更され、前後ともマクファーソン・ストラットの4輪独立懸架となった。
1980年の初戦モンテカルロラリーに、フィアットチームは計5台の131アバルトラリーを送り込んだ。
ラリー序盤、エースのマルク・アレン組がトップに立ったものの、アクシデントにより早々にリタイアとなる。
その後を受け、トップに立ったのはワルター・ロールとクリスチャン・ゲイストドルファー組だった。
ロール/ゲイストドルファー組のフィアット131アバルトラリーは、圧倒的な速さと安定した走りでトップをキープ、そのまま栄光のゴールを果たした。
以前一度、オッティモ・コンディチーネ(最上級のコンディション)のフィアット131アバルトラリー・ストラダーレのステアリングを握る機会があったが、エンジンのフィーリングは、なぜかPF60型ジェミニZZに搭載されたG180WE型エンジンに似ていた。さらに、そのハンドリングも近かった。要は、典型的なFR車のそれと、典型的な4気筒DOHCエンジンのそれである。
スモールカーにビッグエンジン、どアンダー、まさにホモロゲーションモデルの典型であった。
速く走るにはドライバーのスキルが不可欠、ねじ伏せる楽しみをドライバーに与えてくれる最高のマシンである。
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" THE ROCK " に見る兵士の本分
兵士の戦いに理由はいらない。
任務が与えられれば、ただそれを遂行するのみ。高揚も興奮も、そして後悔もない。粛々と淡々と、敵を倒し、生き残り、そしてまた戦う。兵士は殺戮者でも破壊者でもない。自らの人生を戦闘という崇高なミッションに捧げた求道者である。
しかし、その純潔は時として腹黒い政治屋に利用され、何も知らない大衆の批難の的となる。彼らの気高い精神を、薄汚い政治家が弄ぶ事は決して許されない。
1996年にジェリ・ブラッカイマーとマイケル・ベイにより製作された映画 " THE ROCK " にはそうした思いがこめられている。
アメリカ海兵隊武装偵察部隊の伝説的英雄・ハメル准将(エド・ハリス)は、14人の部下と共に化学兵器VXガスを奪い、サンフランシスコ湾に浮かぶかつての刑務所島・アルカトラズ島(ザ・ロック)に観光客とガイド81人を人質にとり立てこもる。
ハメル准将は、国防総省に対し、かつて非合法作戦に従事し、叙勲や葬儀もないまま闇から闇に葬られた部下の遺族に対する補償金として1億ドルを要求、もし要求が受け入れらない場合には猛毒のVXガスを積んだロケットをサンフランシスコに打ち込むと宣言する。
緊急事態を受け、FBI長官は特別捜査官で化学兵器のスペシャリストのスタンリー・グッドスピード(ニコラス・ケイジ)に、アメリカ海軍特殊部隊SEALsに同行して島に潜入し、毒ガスを処理するよう命じる。
しかし、ザ・ロックに潜入するためには、アルカトラズ島から唯一脱獄できた男、現在は刑務所に監禁中の元英国陸軍特殊部隊SAS大尉、ジョン・パトリック・メイスン(ショーン・コネリー)の協力が必要だった。CIAに陥れられた過去を持つメイソンは、当初協力を拒んで逃走をはかるが、グッドスピードはなんとかメイスンの信頼を勝ち取る。2人はSEALsとともにザ・ロックへと向かう。
しかし、潜入作戦はすでにハメル准将に見抜かれていた。先行のSEALsは旧監獄のシャワールームで敵の待ち伏せに見舞われ、激しい銃撃戦の末、全隊員が射殺される。
ともかく、男達が美しく凛々しく、そして悲しい。
敵でありながらも尊敬の念を捨てきれないアンダーソン中佐とハメル准将。軍人同士、男同士の心の機微が観る者の心を熱くする。何度観ても泣ける。
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幻の名盤 " THE RALLY " がCDで復活!
ほんとにこれ、聴きたかった!! そう思われるご同輩は多いのではなかろうか?
幻の名盤 " THE RALLY " が堂々の復活である。
しかも、オリジナル音源をベースに最新のリマスタリング技術を駆使してシリーズ4枚すべてがCD化され、4枚組のCD Boxとして限定500セットが販売される運びとなった。
THE RALLYシリーズは、ラリーフォトグラファーの重鎮、故二村 保(ふたむら たもつ)巨匠がカメラを録音レコーダーに換えて制作した 「音で聞くWRC」である。
1980年~1982年にかけて徳間音楽工業株式会社(現:株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ)から、THE RALLY、THE RALLYⅡ、RALLY SPECIAL、RALLY TURBO SPECIALの順でリリースされた。
西ドイツ(当時)のBASFの技術協力を得て、現場に最高の機材を持ち込んでステレオ収録されたこの作品は、最もエキサイティングだった頃のWRCの臨場感と迫力をリアルに伝える時代の記録だ。
当時はGr.4からGr.Bへの過渡期。まさに群雄割拠、下剋上の嵐の中、世界中の自動車メーカーがWRCという檜舞台で鎬を削っていた戦国時代である。
ヘッドホンをかけCDを再生すればランチャ・ストラトス、フィアット131アバルト、ポルシェ911、タルボ・サンビーム・ロータス、三菱A63Aランサー、日産160Jブルーバード、トヨタセリカ、アウディ・クアトロ、メルセデスベンツ450SC、現在では博物館に展示されているような名車達が、猛々しいエンジンの咆哮とともに左から右へ、そして後方から前方へと駆け抜けてゆく。容赦の無い全開! メーカーの維新と、ドライバーの闘争心が激しく火花を散らす様が、大パノラマを観るかの如く脳裏に浮かんでくる。
そこには、激しい戦場を物語るように、タイヤのスキール音、灼熱色に染まるブレキーローターに圧着されるブレキーパッドの擦過音、軋むボディの悲鳴までもがリアルに収録されている。
家庭用ビデオレコーダーがまだ普及していなかった1980年代初頭、ラリーファン達はこのレコードと、専門誌のグラビア写真でWRCの世界へ思いを馳せていたのである。かくいう自分もその一人、それが高じてヤクザな雑誌編集者になりました(笑)。
今回、このCDは4枚一組のBOXで販売される。
当時のレコードには二村氏が撮影した写真で構成されたスペシャル写真集が同梱されていたが、今回のCD Boxには4冊の写真集を一冊にまとめた、66ページの超スペシャル写真集が付く。
価格は17,000円(税・送料込)。もう二度と聞けない名車の全開音を堪能する対価としては安過ぎるくらいだ。
限定数は500セットである。
手に入れて、ぜひとも時代の鼓動、熱いパッションに酔いしれてほしい。
発売:株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ 販売元:株式会社テクニチューン
株式会社テクニチューン
2012年6月17日日曜日
エンジンチューニングの基礎知識 「バルブスプリング」
カムシャフトがバルブの「開き」を担うパーツならば、バルブスプリングは開いたバブルを元の位置に戻す、すなわち「閉じる」ことを担当するパーツである。
そのためハイカムシャフトに交換するなどして最高回転数がアップした場合には、それに伴いバルブスプリングの強化が必要となる。
なぜなら、バブルスプリングの強度が不足するとカムシャフトの動きに追従することが困難となり、高回転域で回らなくなってしまうからである。
これではハイカムシャフトに交換しても意味がない。
特にサージング現象と呼ばれるスプリングの共鳴が発生すると、スプリングの「巻き」部分が接触して騒音を発し、最悪の場合には破損に至る。
そうしたトラブルを回避するためにもバブルスプリングの強化が不可欠となる。
強化バブルスプリングはスプリングのバネ定数を強化したパーツで、通常はハイカムシャフトとセットで交換される。
強化バブルを選ぶ際には必ずフリー状態での自由長が揃ったものを選択することが大切だ。
また、取りつけた際に自由長が異なる場合には、スプリングシートシートの枚数を変えるなどして調整するのが一般的だ。
強化バブルスプリングの中には、サージング防止のためスプリングの巻き数が異なる不等ピッチを採用したものもある。
不等ピッチを組み込む場合、巻きの粗密から取り付け位置を確認することが大切だ。
因みに、通常は巻きが密になっている方がシリンダーヘッド側となる。
余談だが、その昔、ホンダのF1エンジンでは、スプリングの代わりにエア(空気)圧を利用したものもあった。
2012年6月11日月曜日
" エクスペンダブルズ2 " 10月日本公開!
まさに肉食系男子の饗宴(カルナバル)!
熱き男達のオイニーが、スクリーンのむこうからムンムンと漂ってくる!
シルヴェスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、チャック・ノリス、ランディ・クートゥア、テリー・クルーズ、リアム・ヘムズワース、ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー、ハリッドを代表するアクションスター達がガチンコ勝負を繰り広げる超弩級のアクション大作 " The Expendables 2(邦題:エクスペンダブルズ2) " が、いよいよ2012年8月17日に北米で公開される。
日本公開は10月20日。
公開が待ちきれないぜ!
熱き男達のオイニーが、スクリーンのむこうからムンムンと漂ってくる!
シルヴェスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、チャック・ノリス、ランディ・クートゥア、テリー・クルーズ、リアム・ヘムズワース、ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー、ハリッドを代表するアクションスター達がガチンコ勝負を繰り広げる超弩級のアクション大作 " The Expendables 2(邦題:エクスペンダブルズ2) " が、いよいよ2012年8月17日に北米で公開される。
日本公開は10月20日。
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NISSAN BNR32 SKYLINE GT-R 備忘録 ⑪
30有余年に及ぶロケンローな我がスポーツカー人生の中でも一際輝きを放つ一台のクルマがある。
自らの所有したクルマとして、またモーター・ジャーナリストとして、そして一人のエンスジャストとして、深く心に刻まれ生涯忘れ得ぬクルマ。
そのクルマとは " 日産BNR32型スカイラインGT-R " である。
最高のクルマに出会えた喜びと共に過ごした日々を回顧し、恐らく不定期とはなるだろうが、当時の取材メモを参照しながら、その開発経緯、メカニズム、エピソードなどを備忘録的に書き綴って行きたいと思う。
デザイン面だけでなく、ボディ本体の設計も進行していた。
GT-Rのボディは第二車体設計課が担当していたが、高い剛性を確保しながらも大幅な軽量化を実現するという二律背反のテーマに大いに頭を悩ませていた。
この時大活躍したのがS13シルビアから本格的に導入されたスーパーコンピューターによる解析である。解析によりボディ各部の構造が最適化され、ボディ剛性を低下させることなく大幅な軽量化を実現した。
軽量化と高剛性の両立のため、ボディ剛性とは無関係な部分に関しては積極的に新素材が導入された。
具体的にはボンネットと左右フロントフェンダーのアルミ化が挙げられる。これによりおよそ12kgの軽量化に成功している。
アルミは伸びの比率が悪く、鉄に比べプレスによる加工が難しいという欠点があったものの、アルミの材質自体の改良と最適なプレス条件を研究することによりクリアされた。
GT-Rはドライバーとのインターフェスとなるインテリアに関しても徹底的にこだわっているのが特徴である。
インストゥルメントパネルに至る連続した有機的なデザインは、主役であるドライバーを完全に包み込み、マシンの一部と化す。
視認しやすいメーターレイアウトたスイッチ類の操作感は人間工学に基づき設定された。
インテリアの中でも特に秀逸なのが車体設計部第二内装設計課がGT-R専用に開発したシートである。
専用シートの設計にあたり、担当者はそのベースをかつてWRCで活躍した240RSに採用されたバケットシートに求めた。そしてそれに一般走行における居住性を高次元でマッチングさせようと試みたのである。
GT-Rのシートということで強い横Gの対するホールド性を優先させ、リクライニング機構以外には一切調整機能を排除している。
さらに、独自のインバース形状はドライバーに違和感なくフィットして完璧にサポートするので、長時間の運転でも疲労が少ないのが特徴である。
自らの所有したクルマとして、またモーター・ジャーナリストとして、そして一人のエンスジャストとして、深く心に刻まれ生涯忘れ得ぬクルマ。
そのクルマとは " 日産BNR32型スカイラインGT-R " である。
最高のクルマに出会えた喜びと共に過ごした日々を回顧し、恐らく不定期とはなるだろうが、当時の取材メモを参照しながら、その開発経緯、メカニズム、エピソードなどを備忘録的に書き綴って行きたいと思う。
デザイン面だけでなく、ボディ本体の設計も進行していた。
GT-Rのボディは第二車体設計課が担当していたが、高い剛性を確保しながらも大幅な軽量化を実現するという二律背反のテーマに大いに頭を悩ませていた。
この時大活躍したのがS13シルビアから本格的に導入されたスーパーコンピューターによる解析である。解析によりボディ各部の構造が最適化され、ボディ剛性を低下させることなく大幅な軽量化を実現した。
軽量化と高剛性の両立のため、ボディ剛性とは無関係な部分に関しては積極的に新素材が導入された。
具体的にはボンネットと左右フロントフェンダーのアルミ化が挙げられる。これによりおよそ12kgの軽量化に成功している。
アルミは伸びの比率が悪く、鉄に比べプレスによる加工が難しいという欠点があったものの、アルミの材質自体の改良と最適なプレス条件を研究することによりクリアされた。
GT-Rはドライバーとのインターフェスとなるインテリアに関しても徹底的にこだわっているのが特徴である。
インストゥルメントパネルに至る連続した有機的なデザインは、主役であるドライバーを完全に包み込み、マシンの一部と化す。
視認しやすいメーターレイアウトたスイッチ類の操作感は人間工学に基づき設定された。
インテリアの中でも特に秀逸なのが車体設計部第二内装設計課がGT-R専用に開発したシートである。
専用シートの設計にあたり、担当者はそのベースをかつてWRCで活躍した240RSに採用されたバケットシートに求めた。そしてそれに一般走行における居住性を高次元でマッチングさせようと試みたのである。
GT-Rのシートということで強い横Gの対するホールド性を優先させ、リクライニング機構以外には一切調整機能を排除している。
さらに、独自のインバース形状はドライバーに違和感なくフィットして完璧にサポートするので、長時間の運転でも疲労が少ないのが特徴である。
" Pirelli P7 Corsa Classic " スペシャルイベント
マルク・アレン、ユハ・カンクネンがゲストドライバーとして参加したピレリのニュータイヤ " Pirelli P7 Corsa Classic " のスペシャルイベントが、イタリア国内で開催された。
Pirelli P7 Corsa Classicは、イタリア国内で製造されるピュアイタリアンで、全く新しいコンパウンドとケーシング構造を採用する非対称式のコンペティションスポーツタイヤだ。
テスト用のマシンは、スバル・インプレッサWRCやプジョー207 S2000といった近代ラリーカーから、Gr.Aマシンのランチャ・デルタ・インテグラーレHF、Gr.4カー名車ランチャ・ストラトス、500馬力のGr.Bカー、ランチャ・デルタS4、同じくGr.Bカーのランチャ037、そしてランチャが来るべきGr.S時代に向け密かに開発を進めていた800馬力を搾り出す幻のGr.Sカー、ランチャ・デルタS4 。
最高のドライバーと最高のマシンが用意された。
老いて益々盛ん、老兵マルク・アレン、ユハ・カンクネンのアグレッシブなドライビングは未だ健在。
Gr.Bカーの走りを見ればいかに当時のGr.Bカーが凄いマシンであったかが理解できる。
ランチャ・ストラトスとランチャ037の美しいコーナリングは、ランチャ・デルタS4のパワーに任せた直線的なコーナリングとは全く対照的。
しかし、こんな素晴らしいクルマを動態保存しているエンスジャストがいるイタリア、いい国だね~。
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ナースコンシェルジュ
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テスト用のマシンは、スバル・インプレッサWRCやプジョー207 S2000といった近代ラリーカーから、Gr.Aマシンのランチャ・デルタ・インテグラーレHF、Gr.4カー名車ランチャ・ストラトス、500馬力のGr.Bカー、ランチャ・デルタS4、同じくGr.Bカーのランチャ037、そしてランチャが来るべきGr.S時代に向け密かに開発を進めていた800馬力を搾り出す幻のGr.Sカー、ランチャ・デルタS4 。
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ランチャ・ストラトスとランチャ037の美しいコーナリングは、ランチャ・デルタS4のパワーに任せた直線的なコーナリングとは全く対照的。
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