2013年3月17日日曜日
真のドライビング・プレジャーとは
クルマの価値は絶対的なパワーやクイックな運動性だけではない。
乗っていて幸せになれる。ワクワクして楽しい、思わず笑顔になるクルマ、そんなクルマこそが素晴らしいクルマなのである。
例えばW201型メルセデス・ベンツ190E 2.3-16、ラフな一般路の凹凸を時速50kmで通過した時のリヤサスペンションの「こなし」。
車体が激しく揺れることもなく、不快な突き上げを感じることもなく、進路が乱れることもなく、まるでフラットロードを走っているが如く何事もなかったように通過する。
ステアリングを握っていて思わずニンマリと笑みを浮かべ、口元が緩んでしまう。
これぞまさに至福の瞬間。サーキットを高速で走らなくとも、山坂道のワインディグロードを攻めなくとも、何気ない日常の運転でクルマとの対話を楽しむことができる。それこそが真の意味での「ドライビング・プレジャー」なのである。
ドライバーに無駄なプレッシャーを与えず、クルマの機能が果たすべき役割は完璧にこなす。それは決してドライバーを甘やかしているという意味ではない。ドライバーとクルマの仕事区分を明確化し、各々の担当を各々が全うするという極めて当たり前の事柄に過ぎない。
ドライビングとは「人とクルマの共同作業」である。
さて、今のクルマ(特に国産車)を見回してみると、どこにドライビングプレジャーがあるのか?
バカでかいマブチのモーター積んだ電気仕掛けのオモチャクルマ、MT車もクラッチを踏み込まないとエンジン始動ができないお節介機能を搭載したアホクルマ、交差点で止まる度にエンストする(アイドリングストップ)クルマ、坂道発進の手助けをする余計なお世話機能を搭載したクルマ、挙句の果てにぶつからないクルマ、昔なら「トンデモ」と揶揄されるような機能をてんこ盛りしたクルマが安全で環境に優しいクルマだと言ってもて囃される。
要はレベルの低い運転手を啓蒙することなく、ただ単に甘やかしているだけ。
国産自動車メーカーは、ドライバーが自らの役割分担を放棄し、すべてをクルマ任せにするよう仕向けているのか? であるならば、それは大きな考え違いである。
真のユーザーフレンドリーとは、ドライバーに走行に関するすべての情報を正確に開示すること。
タイヤと路面とのコンタクト状況、旋回時のサスペンションの動き、振動、音、etc。
現在の日本の自動車メーカーがやっている事はすべてのその真逆ではないか?
室内を無音室状態にすれば、アホなドライバーは爆音でカーステレオをかけ、走行中に外部から入ってくる重要なノイズまでも完全に遮断してしまう。クルマの室内は居住空間ではない。運転という危険な行為をしている作業場なのだ。
クルマを快適に便利にすればするほどドライバーの運転技術とマナーは低下し、事故が増える、日本の自動車メーカーはいい加減にその因果関係に気づくべきだ。
安全で楽しく、そして環境にも優しいクルマを真に望むなら、まずはダイエットに励み車重を最大でも1200kg程度にまで落とすべし、そして下らぬ電子デバイスはすべて廃止、エンジンはテンロクターボで200ps程度で充分、できれば4WD、タイヤもいたずらに扁平化せず215/45-17で充分。サスペンションの形式は特にこだわらないが、ボディ剛性をしっかりと確保し、ともかくよく動く「足」にすること。
海外の自動車メーカーはこの事に気づき、すでにそれなりのクルマを作っている。だからワクワク感があるし乗っていても楽しい。
エンジンが、サスペンションが、ボディが、きちんと各々の機能を果たしている。
たったそれだけのこと(それがとても難しいのだが)なのに、乗っていて思わず笑顔になるのだから、やはり人間の感性は重要なのだ。
シンプルでソリッドなクルマこそ最も人間の感性に合ったクルマであることを忘れてはないらない。
最後に日本の自動車メーカーに一言、電気自動車にうつつを抜かすのも結構だが、まずは基本に立ち返り、今一度しっかりとした内燃機関のクルマを作るべき。
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