ランチャデルタS4は、ラリー界の名門、イタリアのランチャが、WRC制覇のため先端技術の粋を集めて創り上げたGr.Bラリーカーの傑作である。
ドライバー後方のミドシップの搭載されるエンジンは、フィアット製の直列4気筒DOHC1759ccのベースユニットに、スーパーチャージャーとターボチャージャーを装着、最高出力456ps/8000rpm、最大トルクは46kgm/5000rpmという圧倒的なパワースペックを誇る。
過激な開発競争の末、Gr.B末期である1986年シーズン後半には実に600PSを絞り出すまでに至った。
モンスター級のパワーに対し、ボディ重量は890kg。パワーウェイトレシオは2kgを切る。
パワーを路面に伝達するため、ビスカスカップリングを組み合わせた当時最先端の4WDシステムが採用された。このシステムは前後のトルク配分が容易に変更できるため、イベント毎、サーフェイス毎に最適なトルク配分を設定する事が可能となった。
ランチャデルタS4は、1985年のWRC最終戦RACラリーでヘンリ・トイボネンとマルク・アレンの1-2フィニッシュとともに華々しいデビューウィンを飾った。
しかし、その過激な性能は、やがて悲劇を生む事となる。
1986年5月2日 ツール・ド・コルス レグ2 SS18コルテ・タベルナ。開幕戦のモンテカルロを制し波に乗るランチャチームの若きエース、ヘンリ・トイボネンがドライブするランチャデルタS4が、スタートから7キロ地点の緩い左コーナーでコースオフし、そのまま崖下に転落。車体が炎上し、乗員2名が死亡するという大アクシデントが発生した。
この事故を受け、FISA(世界自動車競技連盟)は緊急会議を召集し、2日間というスピード審議で翌年からの1986年を持ってGr.Bカテゴリーの廃止を決定した。
かつて「公道を走るF1カー」と呼ばれ、その隆盛を誇ったモンスターマシンは、その終焉を迎えたのである。
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