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2010年9月19日日曜日

プジョー206WRC


80年代後半、究極のGr.Bマシン・205 T16でWRCを席捲したプジョーは、その12年後の1998年、新型車206発表と同時にWRC(世界ラリー選手権)への本格参戦を表明した。

プジョーは翌99年より、プジョーの秘蔵っ子、ジル・パニッチィとフランソワ・デルクールのドライブによるスポット参戦を開始、2000年からの全戦エントリーに向け開発を進めた。

迎えた2000年、新たに未完の大器、マルカス・グロンホルムをチームドライバーに加えたプジョーシュポールは、公約通りWRCへのフル参戦を果たす。

総帥コラード・プロベラの期待に応え、自らの才能を見事に開花させたマルカス・グロンホルムと、ターマックではライバルを寄せ付けないジル・パニッチィの大活躍により、第13戦のオーストラリアで最終戦を待たずにマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

激戦の2000年シーズンは、各戦で新参のプジョーと古参のスバルとの鍔迫り合いが展開されたが、それを象徴するかのようにチャンピオン争いはプジョーのマルカス・グロンホルムとスバルのリチャード・バーンズとの一騎討ちとなり、その勝負は最終戦のグレート・ブリテンまでもつれ込む結果となった。

バーンズはチャンピオンとなるには、自身の優勝とグロンホルムがリタイアが不可欠という極限状況の中ラリーはスタート。各ステージで追いつ追われつのタイムレースが展開した。

3日間の攻防の末、バーンズが優勝、グロンホルムが2位という結果となり、チャンピオンの栄冠はマルカス・グロンホルムの頭上に輝いた。

その結果、プジョーは本格参戦初年度にしてマニュファクチャラーズとドライバーズのダブルタイトルを手中に収めた。

98年の参戦発表の際、3年後にはワールドチャンピオンを奪取すると公言したプジョー。まさに公約通りの快挙となった。














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