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2010年9月23日木曜日

FORD RS200 Gr.B


フォード・ワークスラリーチームが総力を結集して作り上げたGr.Bマシン・フォードRS200は、1984年のトリノモーターショーで初めて報道関係者の前にその姿を現した。

エスコートに代表される無骨なフォードのラリーカーのイメージとは大きく異なるグラマラスで丸みを帯びたボディデザインのRS200は、アルミハニカムを採用したモノコックとチューブラーフレームで構成された強靭なシャシーがその骨格となった。

前後のサスペンションには、後期型Gr.Bマシンのトレンドともいえるツイン・ショックアブソーバがフロント、リヤともに採用された。

パワーユニットは名機・BDAの遺伝子を受け継ぐBDTエンジンをミドシップに搭載。コンペティションで実績のあるパワーユニットを選択することにより、開発時間とコストの大幅な短縮・削減が図られている。

駆動システムは可変式トルク配分4WDを採用している。

一見すると当時のGr.Bマシンの王道ともいえるマシンコンセプトが踏襲されたように見受けられるRS200だが、細部に目を移すとライバルマシンには見られない斬新なテクノロジーが凝縮されている。

その代表例が、エンジンギヤボックスの搭載位置だ。RS200のギヤボックスは、エンジンから切り離され、フロントに搭載されている。これは前後の重量配分を適正化するためにとられた措置であり、その結果、ドライブトレーンは2本のプロペラシャフトを持った複雑な構造となったものの、前後の重量配分は理想値の50:50を実現している。

こうしたこだわりと斬新な手法は、ラリー界の名門・フォードならではと言えるだろう。

1985年7月の英国国内選手権にプロトタイプカーとして出場したRS200は、現在フォードのワークスラリーチームを率いるMスポーツの代表、マルコム・ウイルソンのドライビングによりその圧倒的な速さを見せつけた。

しかしながら、生産の遅れからWRCデビューは遅れ、1986年のスウェディッシュラリーまで延期された。

トップドライバーであるスティグ・ブロンキストを配し、万全の体制で臨んだデビュー戦は、エンジントラブルのため惨敗。唯一、カール・グランデルが3位入賞を果たしたことだけが朗報となった。そして、同時にそれがフォードRS200のベストリザルトとなった。

Gr.B最後のシーズンとなった1986年の最終戦RACラリーにおいて、必勝を期したフォード・ワークスチームは4台体制という万全の布陣で臨んだが、結局優勝することはできなかった。

そして、後世、悲運の名車と語りつがれることとなるフォードRS200は、そのポテンシャルを高く評価されながらも、わずか1年間、4戦を戦ったのみでWRCの表舞台から消えていったのである。











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