2010年9月23日木曜日
TOYOTA 2000GT
歴史上その時代では考えられない高度な技術で作られた物や、明らかに異なる時代の生物が存在した痕跡が見つかる不可思議な現象が時として起こる。
そうした物を総称して「オーパーツ」と呼ぶ。
1967年~1970年の5年間に渡りトヨタ自動車が限定生産し販売した幻の名車 ' TOYOTA 2000GT ' もある意味現代のオーパーツと言えるだろう。
ヤマハ発動機の全面的技術供与を受け、当時のトヨタ自動車が持てる技術の粋を結集して創られた2000GTは、ロングノーズ・ショートデッキの流麗なボディフォルムといい、ライバルである外国製スポーツカーをも凌駕する卓越した動力性能といい、そして同社の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える238万円(現代の1500万円以上に相当)という破格の価格設定といい、何もかもが時代の枠を超越したクルマであった。
トヨタ自動車は、TOYOTA 2000GTの高性能と信頼性を実証するため、1966年10月1日から4日にかけ、茨城県筑波郡谷田部町の自動車高速試験場で国際記録樹立のためのスピード・トライアルに挑戦した。
挑んだ種目はFIAのスポーツ法典Eクラス(排気量1500~2000cc)の6時間、12時間、24時間、48時間、72時間(排気量無制限)、1000マイル、2000マイル、5000マイル、10000マイル(排気量無制限)、2000km、5000km、10000km、15000km(排気量無制限)の合計13カテゴリー。
途中台風に見舞われる過酷な条件の中、見事に走り切ったTOYOTA 2000GTは、5つのカテゴリーにおいて見事世界新記録を樹立した。
時はゴールデン60's。日本のモータリゼーションの幕開け前夜。
当時はクルマこそが若者達、いや、老若男女を問わず日本人の憧れ、夢と希望であった。
そんな時代の仇花的存在として誕生したのが空前絶後にして究極のGTカー・TOYOTA 200GTなのである。
日本の自動車産業黎明期の1960年代に、フェラーリやポルシェ、そしてジャガーと肩を並べるスーパースポーツを創りあげたトヨタとヤマハ。
日本の自動車メーカーよ、誇りと自信を持って、モノ造りの原点に立ち返るがいい!
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