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2010年10月30日土曜日

桜井幸彦伝説

その衝撃的な走りを初めて目撃したのは1985年全日本ラリー選手権第10戦モントレー'85だった。

この年のモントレーは群馬県の草津温泉がスタート&ゴールだった。

ギャラリーステージはスタート地点からほど近い草木ダム付近の林道に設定されたSS1とその逆走となるSS2の2本。

当時は今では考えられないほど全日本選手権国内ラリーの人気は高く、憧れのトップドライバーの走りを一目見んと、全国から大勢のギャラリーがつめかけた。

ラリー当日の天候は曇り。しかし、午後になりSS1がスタートする頃には重く垂れこめた雲間からポツリまたポツリと雨滴が落ち始めた。

コースクリアの先行車が通過してほどなくSS1がスタートした。

当時、最高位であるCクラスの主力車種はAE86であったが、空冷インタークーラーの装着によりグロス160PSまでパワーアップされたG62B型エンジンを搭載するA175A型ランサーターボにその地位を脅かされつつあった。

草木ダムのSS1、2は、長い上り(下り)の直線と連続した複合コーナーとが組み合わさった豪快且つテクニカルなコース。

パワーに勝るランサーターボ勢は直線に勝負をかけ、パワーと排気量で劣るAE86勢は完熟の域に達したサスペンションセッティングを活かしたコーナーに勝負をかけていた。

ランサーターボ勢が抜群の直線加速を見せれば、AE86勢は変幻自在のコーナリングテクニックで複合コーナーでその差をつめる。まさに一進一退の攻防戦となった。

SS2がスタートして10台目くらいだっただろうか。吹け上がった4AGサウンドを響かせ、一台のAE86が長い直線にその姿を現した。

速い! 直線スピードはパワーに勝るランサーターボをも凌ぐほど速いではないか!

クルマが近付くにつれ、4AGサウンドは咆哮へ、そして悲鳴へと変わった。

フル・スロットルなどという生易しいものではない。恐らくドライバーは床を踏み抜くほどスロットルペダルを踏んでいるに違いない。

もっとパワーを! もっとスピードを! ドライバーが奥歯をギリギリと噛みしめ、そう心の奥で絶叫している。そんな鬼気迫る走りだ。

エンジンの悲鳴とギシギシというボディの軋む音、それにタイヤが激しく小石を蹴散らすバラバラという音とともに眼前をAE86が通過した瞬間、泥にと土にまみれたボディのカラーリングが群馬の名門ラリーチューナー「キャロッセ」のものである事に気づいた。

緩い下りの直線の終わりは左複合コーナー。巻き込みながら道の勾配もきつくなる。

鬼のようなスピードで直線区間を駆け抜けたAE86は、複合コーナーの遥か手前、まだ直線区間を50メートルほど残したところで一瞬コーナーの反対方向である右にノーズを向けた。そしてその次の瞬間、一気に左へステアリングを切り込みんだ。イニシャルD的に言えば「なに?!フェイントモーション!」。

フェイントモーションとは、旋回の直前に一度車体を旋回方向とは逆方向に振ってからに旋回に入る操作で、一度アウト側に車体を振ることにより発生したヨー(慣性)を強制的にイン側に移すコーナリングテクニックである。

フェイントモーションは、通常コーナーが中途半端な曲率の時や、コーナーの深度が読み切れないブラインドコーナーなどには使われるが、高速からの進入では余り使われない。荷重移動のタイミングを誤ればコースアウトかスピンのリスクが高いからだ。

しかし、そのAE86のドライバーは高速域からのフェイントモーションを神業的なタイミングできめた。

フェイントモーションにより、直進状態から一気にリヤを滑り出しドリフト状態に入ったAE86は、信じられないスピードで左複合コーナーへ進入。そのままノーズでイン側の崖を削るよな深いドリフトアングルを保ち、矢のようなスピードで連続する複合コーナーを駆け下って行った。

全身に鳥肌が立っていた。

このAE86のドライバーこそ、若き日の桜井幸彦その人である。









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