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2011年6月5日日曜日

Polski Fiat 125P ' Rajd - Polski(レイド・ポルスキ)


平凡な箱型ボディからは想像できない軽快なハンドリングと卓越した動力性能により「プアマンズ・アルファ」を呼ばれたフィアット125。

世界的に高名な自動車評論家ポール・フレールも自らの愛車としたフィアット125は、フィアット124をベースにホイールベースを85mm延長(フィアット1300/1500と同一)、1,608ccまで排気量を拡大したDOHCエンジンを搭載し、当時のファミリーカーとしては先進的な4輪ディスクブレーキを備えたまさに ' 羊の皮を被った狼 ' 的クルマであった。

124よりも旧式なリーフリジッド式リヤサスペンションの125だが、シャシー性能やスポーティーな1.6ℓDOHCエンジンとのバランスは良好で、地味な存在ながら、モータースポーツ(特にラリー)でも実績を残した。

また、汎用性が高いシャシーのため、当時の社会主義国や発展途上国の各国で広くライセンス生産された。

ライセンス生産車として最も成功した事例としてはポーランドのFSO社で生産された ' ポルスキ・フィアット 125P ' が挙げられる。

このクルマ、オリジナルが後継車種である132にその座を譲った1972年以降も製造が続けられ、打ち切りとなる1991年までに実に144万台強が生産された(因みにオリジナルは5年間でおよそ63万台)。

ポルスキ・フィアット 125P ' にはオリジナル125の最大の魅力であったDOHCエンジンは搭載されず、旧来のフィアット1300・1500のテクニロジーがそのまま踏襲されていた。

しかしながら、その走りのパフォーマンスは極めて高く、地元ポーランドの最高峰ラリーイベント ' Rajd - Polski(レイド・ポルスキ) ' では、ランチャ・ストラトス(もちろんストラダーレだが)、フォード・エスコートといったトップコンテンダーを相手に好勝負を展開した。









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